「困らない」

火曜日、用事があったので実家に寄りました。玄関先に積まれた複数のゴミが目に付く。あいにくゴミの日だったので、そのままにしておくわけにはいかん。「ゴミ、捨てに行くよ」というと、待ってましたとばかりに満面の笑みで「ありがとう」と即答する母。…そういうとこなんだよな。遠慮とか知らんのか。

「アンタも行くんだよ。ワタシ一人で持てるわけないでしょ」ホントは持てるけど、ここで甘やかすわけにはいかない。「お母さん、足が痛いから歩けない」という母を無理やり玄関まで促してゴミを持たせた。ちなみに母は前日、電車に乗って市の中心地までお買い物に行っています。「買い物に行けてゴミ捨てに行けないわけないじゃん」とバッサリ。

その時聞いたのだけど、私同様に長らく音信不通だったはずの兄弟も病院の送迎などをしているらしい。私たちは何かが変わり始めているのだろうか。「この間はね、(兄弟)に『ゴミ捨てて』って言ったら全部捨ててくれたのよ」さりげなく、でもきっちりと嫌味を忘れない母は変わっていないが。それがどうした。つーかその言い方はなんなのよ。

「アンタさ、してもらう側のクセになんでそんなエラソーなの?」「(兄弟)は『してくれてる』んでしょ。もうちょっとモノの言い方とか考えたら?」と、散々説教を垂れて帰ってきました。「わかった。ありがとう」とは言っていたが、アンタに「わかる」日が来ないのを私はわかっている。

私は「してあげた」という言葉を発するのが嫌いだった。自分が言われると嫌だから、という理由なんですが。でも相手によっては必要なんだなって思います。楽をするためなら何を言われたっていいと考える人間には、言いたいことを言っても許されるのである。言われるのが嫌なら自分でやれば?って話で。

「(その人が)いなくても困らない」という状態は精神衛生上とても良い。人だけでなく「無くても困らない」「しなくても困らない」とか、バリエーションは多岐に渡る。もしかすると「困らない」って最強ワードじゃないんですかね。

 

清々しいわ。