憂い

先月の半ば、android端末にはTalkBackというテキスト読み上げ機能があることを知った。今更だけど、今更すぎるんだけど。

この機能を使うと自動で本を読み上げてくれるのです。残念ながらkindleでしか正常に機能してくれない。現在3つの電子書籍アプリを使っているせいで、気に入った本はkindleで買い直すという、無知が引き起こした無駄な浪費を繰り返している。

それはさておき。移動時間が長い近頃、毎日のようにユダヤの教えを聞いて(読んで)いる。家でも別のユダヤ関連の本を読んでいる。そうしないと落ち着かなくなってしまった。憑りつかれています。いい意味で。

そうすると、声の大きいネット民がいよいよ理解できなくなってきた。以前からそういう傾向にはあったが、完全に交わらなくなる日も近そう。

なんていうのかね。『1か0か』という思考が病み(闇)を引き起こしているように思う。結局、民の行き着くところは『誰が悪いのか』というところであり、誰かを犯人に見立てて糾弾して終わり。何の解決にもなってなくて笑う。

たとえば、『正直者がバカを見る』という言葉があるけれど。それって正直者が悪いのか。それともバカを見させた正直者以外の誰かや何かが悪いのか。そもそもこの言葉自体「憂い」を述べてみただけであり、ただの感想でしかなくない?って話で。

誰が言いだしたのかは知らんが、この時代からすでにイチゼロ思考なのだ。つーか、諺ってだいたいそうじゃない?

イチゼロ思考を有難がり、子供ながらに正しく書ければ「よくできました」と褒められるけれど。それを覚えたとてなんになる。”ではどうすればいいのか”なんて先生は教えてくれない。なぜなら先生も迷える子羊だから。

でもさ。ただ憂いているだけでも生きていける気楽な国なのよ、日本は。

有難い。