ある芸能人が、近しい人に貴金属を盗まれたという記事を見て、この言葉が真っ先に頭に浮かんだ。

『鍵は”正直者のため”だけにある』

これはユダヤの金言だ。悪人が物を盗もうとすれば、鍵がかかっていようと、かかっていようと盗みに入る。しかし正直者でも、ドアが開いていたら入ってしまうかもしれない。だから正直者に悪事を働かせないために鍵を閉めなければならんのだ、と。

信じた自分が悪いとか、信頼関係が築けなかったとか、そういう話ではない。相手が悪人であれ善人であれ、鍵をかけないのはよくないのである。

つまりユダヤの教えでは「人を信じる」=善ではないのです。私も今はそう考えてますが、きっと以前はそんなタイプの人間だったんだろう。

だからといって全ての他者を疑っているわけじゃない。「善人だって魔が差すことがある」という事実を理解しているだけで。

盲目的に信じるというのは日本人らしいのかもしれない。だけど。裏切られたと感じた時に怒りが湧くなら、それは信じていないってことになりませんかね。

信じているからこそ鍵をかける。

人間の本質ごと受け入れるって、それはもう愛でしょ。

 

私は何が言いたいのか。多くの日本人の言葉は薄っぺらいってことだ。