コーヒーカップ

昨日、ある情報を探していたら、5chのまとめサイトに辿り着いた。そういう所を覗くのは久しぶりで懐かしくなり、あちこちのリンク先へ飛びまくっていたら。『上の子の要領が良いせいで、下の子が損ばかりしている』というような記事が目に付いた。

ありがちな話だけど、胸がチクチクする。

下までスクロールすると、相談者である母親を責めるコメントが多くみられた。そうなんだよね、なんで母親が他人事のような顔をしてるんだと。一般的にはそう思うのが普通だよなって。

思い通りにならない兄への経済的制裁を下すのはいいが、そのツケは全部私に回ってくる。そして兄に奪われて残り少なくなった貯金まで、母に取られてしまった。

そんなことを思い出してしまい、悲しくなりました。

決して今の私が悲しんでるんじゃない。当時の私が可哀想で悲しくなっただけです。

しかし感情と同化しなくなった私は、そういう気持ちも長く持ち続けられなくなっている。だって「いまここ」には、なにも起きてないのだから。

速攻でスマホを閉じて本を読んでいると、なぜか突然コーヒーカップが頭に浮かんだ。ウェッジウッドの素敵なやつ。何年か前、すごく欲しくてたまらなかったけど、結局買わなかったモノ。なんせ1客で底値が8,000円弱の代物ですから。

「…買うか」

気合を入れた割に、目移りしちゃって他のカップを買いました。つっても同じ価格帯なんで勇気が要りましたけど。

でもさ。楽しみは先延ばしにしちゃダメなんだよ。

誰かに取られちゃうかもしれないからね笑

 

この数か月。精神的には「いまここ」に生きられてるような気がするけど、意識は「いまここ」にいなかったりする。だから現実はグダグダだ。とにかく眠かったし、あれやこれやをするくらいなら本を読みたいとか思ってたから。

コーヒーカップをお迎えするにあたり、「こんな部屋ではいかん」と慌てて掃除をした。

また断捨離しないとな。