Iさんの話13~我慢が人を傷付ける時もある~

ついこの間まで泣き寝入りしていた私が自己愛に立ち向かうようになったのは、Iさんの存在があったからにほかなりません。

私は毎日Iさんの事を考えていたからか、たまに妙な感覚になる時がありました。言葉で説明するのは難しいのですが、Iさんが自分の中にいるような気持ちになるのです。

 

スピリチュアルな世界では人間は何度も生まれ変わると言われており、どれくらい輪廻転生を繰り返しているかによって魂の年齢が変わるらしいのです。

Iさんは魂の年齢が高い人なのだと思います。それゆえなのか元々とても情が深く、時間の経過と共に包まれるような愛情を感じるようになりました。

愛情とはいっても異性に対する愛情というより親子の愛情に近いような気がします。私の方が年上なのですが、我が子のように大切に扱ってくれると言えばわかりやすいのでしょうか。

私はIさんの事をほとんど知りません。でも私の中の子供が、父親に甘えた時のような安心感を感じるのです。だからIさんの前では素直でいられる。これまで味わったことがない幸せ。本来の自分に戻る気がする。

一緒にいる時は私が子供なのですが、離れている時は母親のように、今彼が笑っているか、辛い思いをしていないかと心配になります。

あまりにもこれまでの恋愛感情とはかけ離れすぎていて、異性として好きかどうかもよくわからない。ただ大切な人なのです。

 

あり得ないことですが、もしIさんが今の私の立場になっていたら?想像すると怒りで胸が張り裂けそうになります。”大人だから我慢するべき”だとは絶対に思えません。

もちろん何もかも飲みこめる成熟した大人であれば、それなりの対応は他にあったはずですし、精神的にも少し強くなっていた私は我慢しようと思えばできていたとも思います。

でも、”Iさんが大切にしてくれる私”が自己愛のような人間に舐められ続けるのがどうしても許せなかった。

時と場合と事情によりますが、自分さえ我慢すればいいという考え方は一番大切な人を傷付けることがあります。

もうそんな思いはしたくない。そう思いました。