自己愛の誤算

「自分を認めて欲しい」という気持ちがなくなった私は、仕事の上でも本来の自分に戻りつつありました。

 

私は好きで営業をしているのではなくて、向いている仕事がたまたま営業だったのです。本当は頼られるのも好きなほうではありません。

ですが足繁くお得意先に通い、可能な限り顧客のニーズに応えようとする私は、他人から”頼られるのが好きな人”だと思われがちです。しかし大切なお金を頂戴する以上、出来るだけの力を尽くしたい。ただそれだけなのです。

人間相手の仕事に「絶対」はなく、明日突然切られる可能性がないとは限りません。今は顧客から求められていたとしても胡坐をかかず、常にその状態を維持し続けることが数か月先、あるいは何年か先の売り上げに繋がるのだと思っているからです。

ですので顧客が個人的に私を好きか必要としているかと考えた事があまりありませんでした。もちろん嫌われれば仕事になりませんし、好きになって貰えればとても嬉しいです。でも、例えそうでなくても構わない。評価は他人が下すものだから。

 

私は顧客にサービスを提供する代わりに売上をいただき、売上という形で貢献した会社から対価が欲しいだけ。認めてもらえないなら営業でなくてもいい。

現上司である自己愛はいずれ社長になる人です。経営者側が得意先に行くことをよく思わないのなら従うしかない。それにパワハラという対価に見合う仕事をしなければいけません。

 

私はこうした思いを誰にも話したことがないので自己愛も当然知らないはずです。私に精神的ダメージを与えるための嫌がらせだとしたら、それは大きな誤算なのでした。