私と自己愛はそれから会話をしなくなりました。
私は指示がなくても大抵の仕事はできますし、必要な時はメモを渡すだけで事足りるのです。無視される=自分の存在を否定されることが我慢できない自己愛はどこまで耐えられるだろうか。
そして本来、自己愛がするべき事務処理や雑務を私が担うなど、あやふやだった仕事をきっちりと線引きし、必要以上の事はしない事にしました。
プライドの高い自己愛は他人にお願いをすることが苦手です。命令するか、同情を誘って相手から行動を起こすようにもっていくかどちらかになる。言質を取られるのを警戒してか命令形は抑えていたようで、これまで以上に誘い受けが増えました。
しかしはっきり言うと気持ちが悪いのです。命令しない代わりに救いの手を待つという極端さが、皆が当たり前に助け合っている環境の中では異様に悪目立ちする。
他の社員も私同様に、ある意味では自己愛を尊敬していた時期があったと思う。だからこそ今まで通用してきた事も多い。しかし一度見下した相手からの誘い受けは嫌悪の対象でしかないのです。
軽やかにスルーして、その場を去っていく社員を見る自己愛の顔には、怒りとも失望とも取れる表情が浮かんでいた。どういうわけか私には凄まじい敵意を表した顔をするのが納得いかないな。
自己愛からすれば周囲が突然変わったように見えるのかも知れないけれど、突然でも何でもない。長年積み重なったものが、自分自身の行動をきっかけに限界を迎えてしまっただけです。むしろ当然の結果だと言える。
それなのに、たまに落ち込んだ表情をするのが更に不愉快なのです。