精神の二極化②

去年は私自身が大きく変わった年だと自覚していますが、スピリチュアル的に見ると多くの方にとって変容の年だったようです。夏頃から新しい方向性に向かい、先日の皆既月食から現実レベルでスタートするよう促されるとの事です。

以前、精神の二極化という記事を書きました。2018年は更にアセンションが進み、社会の二極化も顕著になるそうです。

当時は大きく分けてポジティブかネガティブかという事しか知りませんでしたが、自分を生きる人と他人を生きる人に分かれるようなのです。まさに自分軸か他人軸かという事なのでしょう。

私がこの言葉を知ったのは記事を書いた後なので、とても偶然とは思えず嬉しくなってしまいました。そして自分を生きるとは、本当の気持ちで生きること。事実、それが一番幸せな生き方だと考える人が急増していると感じます。

 

我ながらいい年をして厨二病みたいだと思うけれど、今の若い人が社外コミュニケーションを嫌がる気持ちはよくわかります。好きでもない上司と飲みに行って下らない武勇伝を語られるのはうんざりです。

そして年長者を敬えという風潮も嫌い。年の功と言うけれど睡眠と食事だけで年はとれる。何も教わる所がない人を一括りに尊敬なんてできるわけない。これからの時代は尚更、若い人に教えて貰う方が多くなるだろうし。

共通点は権力なのですが、この二極化が進むと権力が意味を持たなくなるのではないかと考えています。例えば財力を誇示して他人から賞賛を得ている人は今もいて、賞賛する側の人もいるでしょう。

もちろんお金は大事だけど、それよりも大事な物を大切にして生きる人にとっては賞賛に値しなくなり、「確かにすごいけど価値観が違うよね」くらいのスタンスになるんじゃないかと考えています。

お金だけではなく、これまで価値があるとされていたもの全てに該当すると思う。自分が本当に欲しい物に気付き、自分の心に正直に生きる人が増えると、価値観のゴリ押しは通用しなくなるような気がする。

反面、他人の軸で生きる人はこれまでよりも他人に管理される度合いが高まるらしいのですが、ゴリ押しする側は残った人に依存するしかないですから仕方がない事なのかも知れません。

アセンションした側としない側、つまり自分軸で生きる人と他人軸で生きる人は、今後急に接点が減っていくとも言われています。足を引っ張られないよう、更に捨てるべきものは捨てて行かないと。