母はどこへ消えた

「あたし おかあさんだから」に不快感を示した人達の理由は様々だけれど、”あなたのために我慢している”という気持ちを押し付けられたくないという意見がありました。

(個人的には、子供中心の生活になってしまったけれど「あなた」のおかあさんでいる方が幸せだと表現するには比較する何かが必要だった。諦めた事を多く連ねることで、より一層それを誇張したかったのではないかと勝手に解釈している)

私は書き忘れていたIさんの事を書こうとして、あの歌詞が炎上していると知りました。それで絡めてみたのですが、私は母を思い出さなかったなと書いた後に気付いたのです。

強烈な毒親を持つ某女優さんは、あの歌詞のような母親像が理想で、母親に対してではなく自分自身に対してそうありたいと思い泣いてしまったそうです。他にも毒親の歌だと嫌悪感を口にする方もいます。

だけど私は今もいまいちピンとこない。「我慢しているのは子供のため」という自己犠牲の言葉を散々聞いてきたはずなのに上手くリンクしない。

私はあの歌詞を肯定的に捉えているから、「あんなふうに愛されたかった」とか少しぐらい思ってみてもいいんじゃないの?と自分に問い掛けるも母の存在そのものが薄い。

私はつい最近まで昨日の事のように覚えていたのに、あの歌詞を母に置き換えることもできない。というか母に抱いていた感情すら思い出せなくなっている。

母への感情が何もない。無。母はどこへ行ってしまったのだろう。