不幸の点取りゲーム

私が前沢氏を批判する人達に対して、こんな思いを持つのは共依存者に重なる部分があるからだと思っています。

彼女は類まれに見る、自称「不幸の塊」なんですが。他人から見れば別に不幸でもなんでもありません。(幸せの度合いは人によって違うとわかっていても)

私は彼女があまりにも仕事をしないことに腹を立てていた時期もあるけれど、今はそういった感情も消え失せて空気のような存在になっている。繰り返しますが、彼女は能力だけの問題ではなく、「したくない」のが彼女の本音です。

ある意味で彼女の願い通りになっているのに、何が不満なのかがさっぱりわからない。何もしない割には、一応体面というか他人からどう見られているかというのは気になるようで、「したくない」のではなく「出来ない」のだとアピールすることは忘れない。

まだ仕事をしないだけならいいのですが、余計な口を出して周囲を引っ掻き回し、気まぐれに仕事をしては何かをやらかす。もちろんその尻拭いは他人だから、余計な仕事を増やす人物である。だけど彼女は一切困った状況にならないのに、どの辺りが不幸なんだろう。

 

彼女が本当に欲しい物はなにで、どうすれば幸せになれるのか。それはきっと彼女も気付いているけれど絶対に認めないと思う。彼女は誰かに必要とされたい、広い意味で「愛されたい」だけなのだと思う。

だけど彼女の気持ちとは裏腹に、愛されるどころか「いるだけで不愉快」な存在になっていった。私は長年彼女を見てきて、なるべくしてなったという感想しかありません。これは自分がそうなってわかったのですが、自分自身を大切にしない人と関わりたくないからです。

彼女の場合、自分を大切にするとはどういうことかというと、したくないし、しなくていい環境(彼女は現社長の縁者)なのだから、むしろ開き直って「楽チ~ン」でいてくれた方がいいのです。そして機嫌よく過ごしてくれた方が周りは助かる。

仕事に関する事よりも、朝から夕方まで不幸オーラを撒き散らす方が精神衛生上、大きな問題なのです。期待もしていないから責めないので、勝手に不幸に浸るのは勘弁してもらいたい。

そのせいで被害をこうむっているこっち側が、彼女を不幸にしているという図式が出来上がる。彼女は「他人の幸せ=自分の不幸」という考え方なので、「周りが私を不幸にした!」と鼻息荒く癇癪を起こすのです。

以前はなだめたりすかしたりした結果、調子に乗ってますますエスカレートし、精神的に追い込まれて心を病んだ人もいます。普通の人が彼女と関わると確実に不幸になる。もう私を含んだ他の社員は、この下らない不幸の点取りゲームに付き合いきれない。自分が不幸なのは構わないけれど、不幸の渦に巻き込まれるのはまっぴらごめんなの。

そのために私達はお互いにテンションを上げあっている。他人のせいで波動を下げてはいけない。他人のために不幸になっては駄目なんだ。私はずいぶん前から密かに【波動を上げよう運動】を行っていますが、着々と賛同者が増えてきて嬉しく思います。

それを見る共依存者は相対的に不幸になっている。「私はこんなに不幸のズンドコなのに、どうしてあなたたちは楽しそうなの!」という怒りを抑え切れないでいます。知らんがな笑。

人の不幸を望んだ結末。あなたは不幸のズンドコでも、相手は楽しく生きてますよ。