損得勘定

神社ミッションは「お金をどぶに捨てる」気持ちでするものですから、(中略)「まあ、誰かが得すればいいか」程度にさらっと。心屋さん曰く、”くれくれ星人”の人が行う修行なので。 

一昨日これを書いた時、はっと気づいた事があります。神社ミッションというのはお金が入ってくるために行うのではなく、むしろ入ってこなくて当たり前、が基本。執着を捨てるためのものであって、大基本は「損してもいい」だそうです。

 

長年、私の悩みの種であった共依存の彼女について。彼女はとにかくケチなのですが、金銭面だけではなく、あらゆる面で出し惜しみをする人です。

会社には、コピー用紙やトナーの補充のような名前のない仕事がたくさんあります。しかし彼女はこれらを一切しない。トイレットペーパーは最後の一切れを残したまま。たまたまコピー用紙が切れた場合、わざわざ離れた別の複合機まで移動するほど徹底している。

用紙は近くにあるので、開けて・入れて・捨てるの3アクションなんですが。歩く労力の方が大変なんじゃないかといつも思う。それは個人の自由だとしても、何のために彼女はそんなことをしているのかと最初は疑問に感じていた。

彼女は面倒くさがりに加えて「絶対に損したくない」人なのです。例えば自分がコピー用紙を交換した場合、次に使う人が得をするという考え方の持ち主で「誰かの得になることはしたくない」から、こうした行動をとっているのでした(驚)

これは私や周囲の思い込みではありません。彼女は思っている事を口に出してしまう人なのです。だから何かにつけて常に、損をするか得をするかが彼女の判断基準になっている。なので他人の為になるような行動は絶対にしません。

私は昨日、初めて彼女に会ってからの事を振り返っていた。以前も書いたように、彼女は私の母にそっくりです。そんな彼女に最初は歩み寄り、劣等感を傷付けないよう自分なりに努力はしたつもりでした。けれど母と同じように近付けば近付くほど傷付けられてきた。

彼女が嫌われるのは仕事が出来ないとか邪魔をするとか、そういったレベルの問題ではなく、人的に問題がありすぎるから。損したくないから出さない、だけど他人からは貰いたい。それは人間相手には通用しないんだと私は身に染みて感じています。

 

私自身、以前に比べるとキャパが大きくなったと感じることが多い。「どうして自分だけ」と思うことがなくなった。だから彼女に暴言を吐いた時、彼女のせいで仕事が増えたとかそういった気持ちはありませんでした。自発的なものだったから、その事で彼女を責めるつもりもない。

事の発端になった件に関しては、これまでに何度も不毛なやり取りが繰り返されて、他の社員が責められているのが許せなかったのです。私さえ我慢すれば(実際は我慢という程ではないけど)とか、そんなんじゃない。私はその時「損してもいい」と思ったんじゃないだろうか。

結果として彼女は見放された。彼女は全然満足していなかっただろうけど、今まであった最低限の気遣いまで失うことになってしまった。お蔭で彼女の機嫌に左右される人がいなくなり、気分的にとても楽になりました。

そして私は、些細な行動だけで他人の信頼と労力を手に入れたのです。これが氏のいう「損してもいい」という意味なのかな、とそんなことを思いました。

私はずっと自分の舐められやすい性質を嫌っていた。だから随分前は、誰かに何かをする時「今助けたら舐められるかも知れない」と考えていたような気がする。舐められたくない→損をする。自分では気付いていなかったけど、彼女と同じだったんですね。