フルコース

いつもはここにきても、書くのが精一杯で人のブログは見ないのですが、トップになかなか衝撃的なタイトルがあったので見てみた。

孤独について。私は年齢的にその最中にいる孤独人ですが、孤独死を怖いと思ったことがありません。だって病室に居たって家族が最後に傍にいるとは限らないし、たとえ誰かがいたとしても一人で逝くしかないのだから。

四苦八苦という言葉は仏教用語です。四苦の中には、生まれて生きることは苦しいという意味の生苦、死への不安や恐怖を味わう苦しみの死苦が含まれています。他に老苦・病苦がありますが、これらはこの世に生を受けた以上、絶対に逃れることはできません。

 

私はウン十年生きてきて、今が一番楽しくて毎日が輝いているので、孤独について考えたのは久しぶりのことです。

貼ってあるリンクも一通りさらっと見ましたが、私は「やりたいことをやり終えた人達」という印象を受けました。読む限りでは順調に人生を歩んできたと思われる。

そして30代後半で更年期性の鬱になった知人を思い出した。知人は私の性格を知っているので、同調を求めてきたり何かを訴えてくることはありませんでしたが(役立たず)、何かの拍子に自分の思いを語り始めた。

彼女が一番恐れていたのは「誰かに必要とされなくなること」でした。容姿端麗で異性にモテて仲間も多い彼女が何を言っているのか、しばらく理解できなかった。しかし、その年齢に差し掛かって将来の事を考えた時、今は良くても老いた自分の傍には誰かがいてくれるだろうかと考えると夜も眠れないという。

私と正反対の生き方をしている彼女は、自分の好きな事を仕事にして欲望の赴くままに生きてきたけれど、これからは誰かの為に生きてみたいとも言った。自分を必要とし、自分の全てを捧げられる絶対の存在。「子供が欲しい」と呟いた彼女の声は少し涙声でした。

私はそれにも感情がビクともせず、子供は絶対の存在とは言い切れないと思っていました(もちろん黙ってた)。だって絶対の存在じゃなかった人がここにいるんだから。

 

今でも彼女の気持ちは理解できない。人に必要とされなくなる怖さがわからない。

幼い頃から人の顔色を見て、人の望むように動いてきた私は、自分の気持ちに正直で自由奔放に生きている彼女を、決して嫉妬ではなく純粋に羨ましいと思っていた。私も彼女のように生きたいと憧れさえしてたのに。

 

突然の平井堅降臨。「叶うモノと叶わないモノを甘い順に並べて 君ならどっちから味わう?人生という名のフルコース」

無駄に深い。

平井堅 Hirai Ken- CANDY ( Ken'sbar Winter 2009))