隣の電車

最近の変化。今月に入って、長い間会っていない人からの連絡が相次いでいます。その他にも(人様の事なので詳細は省きますが)いわゆる毒親であろうと思われる方が幸せではない最期を迎えた、とかいう話を聞く機会が結構あったりして色々考えさせられる。

そして昨日、以前の会社の上司である「ダメな子」が好きな彼からお誘いがありました。私は彼の仕事ぶりだけは尊敬していたので、会社を辞めてからも数回会っている。でも本当はそれだけじゃなかったんじゃないかな。どこかで後悔していて欲しいと願っていたのかも知れない。

最近彼の事を思い出していて、今の私なら彼の話を冷静に聞けるんじゃないだろうかと考えていた。なぜあんなにダメな子に執着したのか、当時の私をどんな気持ちで見ていたのか、知りたいことは沢山あったはずなのに、私は誘いを断りました。既にどうでもよくなっていたからです。

軽い近況報告を受け、その中にちらほらと私を認めていたこと、今はまともに人材育成に励んでいるという内容が含まれていました。私は「そうですか」という言葉しか出てこなかった。私の中で彼の価値が完全に下がりきっているので、認めて貰わなくても結構です、という気持ちしかありませんでした。

2か月前の自分なら、この連絡をどう捉えていただろう。会って思いの丈をぶちまけていただろうか、謝罪の一つでも求めただろうか。今となってはわからないけど、たとえそうなっても時間は戻ってこない。そして今がどうであれ、クズであったことには変わりがないんだから。

 

今の私は「ダメな子」が悪いと思っているわけじゃない。私だってダメな上に廃人なのだから他人の事はとやかく言える立場でもないですし。そして「ダメな子」を好きな人がいてもいい。需要と供給が成り立っているのだから素晴らしいことだと思う。

ただ私は嫌いなんだよ。いてもいいけど私に迷惑を掛けないで欲しい。好きな人が面倒を見るべきだと思っている。私のいうダメな子とは出来る出来ないじゃなくて、(自称)不幸でそれを売り物にしている人を指している。そして同調する人間も同じ人種だからだ。

自分で望んでダメになった人の尻拭いをする人生は金輪際ごめんだ。私は人生の前半をほぼそんな事に費やしている。それも自分で望んだのだから過去については諦めているけど、もう不幸になるのも嫌だし大切な人を不幸にするのも嫌だ。

 

あの頃、私と彼は多分同じ電車に乗っていたはず。レールが寄り添っている間にどちらかが隣の電車に飛び移ったのかも知れない。レールの先はどこに向かっているか今はまだわかりませんが。

今回は残念だけど必ずいつか会いましょうと言って、彼は電話を切った。きっといつかはこない。何となく、声を聞くのもこれが最後だと思いました。またひとつ何かが終わった気がした。