精神の二極化③

私は他人に無駄な時間を使われるのが嫌いだ。なので昔から電話が嫌いだし、自分からメールをすることもほぼない。自分通信というのか「今○○してます」という報告に何を返せばいいのか、何の意味があるのかわからないのです。もちろんツイッターとかもしない。こんなだから友達いないんだと思うけど。

昨日載せた堀江さんの本にはそんなことが書いてある。確か精神科医斎藤茂太さんの本でも似たような内容を見た気がします。しかし世間からはなかなか同意をもらえなかった。

冷たいとか人の気持ちがわからないとか言われて、まんまと受け入れてしまったもんだから、長らくそのギャップに苦しむことになったけど、今は特におかしいわけでもないと思う。今の時代は私にとって、とても生きやすいのです。

私はずっと自分の周りの世界しか見えなかった。どうして私の周りには強烈な個性を持った人が君臨しているのか。そこらへんの層から「自分こそ正義」だと言わんばかりに批判され、一方的に与える側に回って疲弊しきってしまった過去の私は一体なんだったのか。

だけど今はネットを開けばそんな人が腐るほどいる。ずっと似非弱者の存在に憤慨してきたけれど慣れてしまったのかな。よくわかりませんけど、とにかく彼らは『特別』でもなんでもないのだと思うようになりました。いわば量産型なのです。

たいした努力もせず人から奪うことしか考えていないような人達。私の人生の中でこの種と関わるのは最後になるであろう自己愛達を、どこにでもいる人だと思えるようになったのは精神衛生上とてもいいことだ。どこにでもいるのだから特別扱いする必要などありませんね。

世に溢れかえる自称弱者。なんでもそうだけど数が少ないほど貴重なのです。少数だから恩恵を受けられていたのに、数が増えれば需要と供給のバランスが崩れるのは当たり前。似非弱者たちは僅かな椅子を取り合って奪い合うことになるんだろうと思いながら眺めている。

闇はさらに闇へ向かい、光はさらに光に向かう。私から見ると精神の二極化は確実に進んでいます。