鼻毛か純金か

しばらく続いていた猛烈な眠気はひとまず治まったようだ。朝起きられなくて数回会社を休んでしまったほど、過去最高レベルに怠くて眠かった。時間待ちの間や運転中でも否応なしに襲ってくるそれと戦うのは本当につらかったです。そんな日々を経て、私は次元が上昇したような気がしている。

誰が言い出したのかは知りませんが、潜在意識系では『認識の変更』という言葉をよく使う。ある人はラベルを張り替えるように、またある人は今この瞬間に望む自分になる、とか方法はまちまちながらも、目指すところはとにかく認識の変更っぽい。

結果が出てから書くつもりだったので始めた時期はよく覚えていないのですけど、私は「存在するだけで価値がある自分」として生きることにした。抱えている負の部分も含んだ上で、誰が何と言おうと私はそうなのです。

現在私は会社に遊びにいってるようなもんである。一応やる事はやってますが仕事と言えるのかどうかもわからない。ほぼネットに明け暮れているのを自己愛も知っているはずだけど何も言わない。というか言えないのだ。なのに給料は結構上がりましてね。この状態が良いかどうかはさておき。

存在するだけで価値があるんだから当然でしょ。誰が何と言おうと(略)

存在するだけで価値があるからといって、私自身は何も変わっていない。この状況を認識の変更と言うのだとすれば、簡単だけれど簡単ゆえに難しいのだと思っている。簡単というのはなってしまえば簡単という意味であって、まずなれるかどうかが問題だ。あ、なればいいのねOK~という人もいるだろうけど、なれないからこそ難民が生まれるわけで。

”存在するだけで価値があると自分で思っているであろう人”を客観的に見ると、たいていが傲慢な印象を受けるのではないだろうか。いや実際にいるし。世の中が自分中心に動いていて、思い通りにならないと不満を撒き散らし、あの手この手で搾取しようとするタイプ。ああいうのはどちらかというと思い込みに近いものだと感じる。”存在するだけで価値がある人になりたがってる人”と言えるかも知れない。

なりたがってる人の気持ちは過去の自分を振り返ると容易に想像がつく。他人の言動に一喜一憂し、軽く扱われてると感じれば腹を立て、思い通りに事が運べばどうだ!と言わんばかりに気が大きくなる。これが俗にいう『現実に振り回されている』状態なのだと思う。

なった自分はどうだったのかというと、他人を変えようとか現実を動かそうとはしなかった。存在するだけで価値があるんだから当然でしょ。誰が何と言おうと(略)とは思っているが、事実そうなのだからわざわざ確認する方がおかしいのです。

鼻毛はフィルターの役目と乾燥を防ぐために生えてるのだけど、見られては恥ずかしいものだから、ついうっかりと大切な役割を果たしていることを忘れてしまいそうになる。 

朝起き抜けに鼻毛が生えているかどうかを確認する人は少ないだろう。今日も生えてた良かった!いや今日は生えているけど明日は生えてないかも知れない、生えてこなかったらどうしようと心配したりと、とにかく鼻毛に執着する人はあまりいないように思う。そんなもんだった。

逆に言えば、鼻毛レベルにまで落とし込めなければ自滅する可能性が高いとも言えそうだ。「なったつもり」と「なった」は似て非なるもの。鼻毛がキラキラと輝く価値のある純金に見えていたら危険だと思う。