不公平感

日曜日の朝、「とりあえず起きよう。起きて動こう。」とハッパをかけて動き出したものの、洗濯をしただけで気力は途絶えてしまった。私の行動は恐ろしいほど気分に左右されるようである。

「まぁ、こんな日もあるわ」

できない自分を責めても仕方がない。これで勢いが止まってしまうのかと、まだ結果の見えていない心配をしてもしょうがない。大事なのはまた動き出すこと。その日が来れば”できない日”はただの過程であり、必要不可欠なものだったと思えるようになる。そんなもんだ。

罪悪感なくダラダラしたお陰か、月曜日には復活した。会社からモニターを借りて持ち帰り、以前使っていたPCを起動する。中身はほとんど処分していたようで、あるはずと思っていた闇深い日記などはなかった。

データこそ残っていないけど、かつて存在したファイル名を見ることになる。前の会社の月次報告書、営業計画書、スポットで受けていた個人の顧客の名簿。会社で書く暇がなかったから、ここでお酒を飲みながら深夜に書いていたのだった。もちろん残業なんてつかない。というか元々営業は残業がつかない会社だったし。

やはり不公平感があってはならないな、と思う。「できない」を理由にそれでヨシとする当人もどうかしているし、「できないなら誰かがしないといけないよね」と他人の尻を拭き続けるほうもどうかしている。

我が社の問題児は先週退社した。そこまで知恵が回るタイプではなかったけれど、念のためハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)対策も万全に。頭数が揃えばいいってもんじゃないのよ。無駄な労力を使ったところで何の利益も生まないのだ。力説した甲斐があったよ。

真に努力する人、たとえばウチの業務の人達みたいな。そーゆー人たちに、過去の自分みたいな思いはさせたくないのです。時代?国際感覚?そんなの知るか。