苦悩の元

近頃、生きやすいと思う。常にそんなことを考えてるわけではないが、「生き辛い」あれは一体なんだったんだろう。

 

昨夜、知人から「病気で子宮を取らないといけないかもしれない」と言われた。「女性として抵抗がある」という彼女に対して、どう返すのが一般的なのか。

私は子供ができにくい。でも生き辛さを自覚し始めた20代半ばから子供が欲しくなくなったので、それ以降「(心から)子供を産みたい」と思ったことは一度もない。つまり私にとっては好都合だったのである。

子宮という臓器にさして思い入れもない人間にはその気持ちがわからなかったから、正しい答えを探してみた。「そうだね。女としてつらいよね。」きっとこれだろう。でもウソなんだよなー。

とりあえず今は取らない方向で治療をしているらしいが、かなりキツい上にデメリットも大きい模様。寧ろそっちのほうがつらそうである。とくれば尚更「取る」の一択しかないように思えた。あくまでも私の場合は、だけど。

使わない臓器なら親知らずとか盲腸みたいなもんでしょ。あ、親知らずは移植できる場合があるからケースバイケースだなーと脳内でグルグル。

若い頃に出産したため「もういらないんだけどね」という彼女に、要らんもんは要らんという自論を展開した上で「私なら取るかなぁ」と言った。流石に「子供を持ちたい」と願う相手に対しては言わないよ。

病気のことは相談ではなく話の流れでそうなっただけだから、「そっかー」と流れるように消え、スイーツの話題へと移動する。でもお店を出ようとした時、彼女は私の言葉で気が楽になったと笑った。

彼女の苦悩の原因は病気ではなく、子宮=女性のシンボル的な『常識』じゃないのか、と思いましたね。子宮があろうがなかろうが女は女だよ。

 

原因も答えも自分の中にある。 

「自分はどうしたいのか」それだけでいいんだよ、ほんとは。多分。

「楽しい」「嬉しい」「幸せ」それだけが正しいのだ。