先週だったか、会社にいる例の彼女から唐突に「(私)さんは家に帰ったあと、悩みを聞いて欲しいって思う時とか…ある?」と聞かれた。
「ない」
ごめんなさいね。身も蓋もなくて。だってそもそも悩みがないんだから、聞くことはあっても聞いて欲しい時はない。
彼女は子供が巣立って一人になった時のことを考えているらしいが。あぁ、そうだよな。かつての私もそうだった。だけど、話を聞いてくれる人が必要だったから、その代償として我慢もしなければいけなかったのだ。
私は人を選ぶ基準が大きく変化した。今後、我慢しなければいけないような人と関わるつもりもありません。「悩みがない」というのは、こうしたメリットもある。
とはいえ。私にとって、ここは「悩みを聞いてもらう場所」だったのだろう。往々にして人は言いたいだけ、言えば気が済むことが多いのだから。
詳しく見てないが、このはてなブログでも「書く」「書かない」について、意見が交わされていたようで。
自分のことを知って欲しい、自分を理解して欲しい、などという気持ちが薄れたら、発信が減るのは当たり前じゃないかね。(利益に繋がる場合は別だけど)
それはつまり「自分を生きるのに忙しい」というメッセージなんじゃないかと思ったりするの。
五次元へ向かう人が多いんだなーって、勝手に嬉しくなる。