ワタシ

最近、「ワタシ」の正体は意識だなって、ふと思いました。

これが結果として「今にいる」という所に繋がるんだけども。

 

私の場合、「ワタシ」は後頭部の後ろにいる。頭の中ではなく、体の外にあるような気がするのだ。だからこの肉体も借り物で、「ワタシ」ではないという感覚に陥る。

頭の後ろに「ワタシ」がいるのだから、もちろん心を使わない。だから感情の起伏がほぼありません。特に怒りや哀しみといったものが少ない。先日、悲しみを癒すアロマオイルを買ったものの、「ワタシ」は悲しみを認識していないのです。

あれを買った理由は、俗にいうトラウマを認識することはできないと読んだので。トラウマは無意識にあるもので、意識できるものはトラウマではないって見解だったかな。ちなみに楽しいとか嬉しいは意識で感じることができるから問題はない。

今、私は良い記憶も悪い記憶も留めておかなくていいと思っている。

記憶は依存性が高いからだ。良くも悪くも過去の記憶を元に、自身の中で「確固たる観念」へと変化し、観念は現実を見たいように見させる。明日も楽しいのなら、今日の楽しい記憶は置いておかなくてもいいはずだもの。

もう一つ、記憶は感情を呼び起こす。ゆえに記憶から作られた感情は今の「ワタシ」ではないし、感情を動かさなければ思考は止まる。動き続けるのは意識だけ。だから「ワタシ」は意識、という結論に至った。

 

弊害は時間の感覚がおかしくなることと、やらかしが多くなること。

もう少し慣れてきたら、上手く使い分けられるのかな。