有耶無耶

2か月前にブルーレイレコーダーを買うまで、その場所には古いDVDレコーダーが鎮座していた。昨年春の断捨離の時、それを捨てて一区切りにするつもりだったのに。面倒というより、なんとなく捨てられなかったのだ。当時の私にとっては高価な物で、何か月も悩んで買ったという思い入れがありましたから。

ところが、いざ引っ張り出してみるとただのゴミにしか見えなくて。アナログ時代の物だから当然使えないし、プレーヤー単体を別に買っている辺りを見ると、既に壊れてたのかもしれない。過去の記憶への執着、それだけ。

その後すぐデスクトップPCが死んだのだけど、23インチの一体型は床で生活する私には大きすぎたのです。モニターを見上げる格好になるので、非常に映像が見づらい。見栄えがいいという理由で買ったそれを、”お気に入り”だとずっと信じ込んでいたけど、地味にストレスの原因だったんだと無くなってから気付いた。

 

私はこれらを思考の罠だと思っている。そもそも思考は過去の記憶や外部からの情報で成り立ってるんだから、同じ思考をしていると同じ結果にしかならないのは当たり前なんだよね。そして思考に力を持たせると、”感じる”前に思考がしゃしゃり出てきて、本当の自分は有耶無耶にされてしまう。

それでいいのか。よくない。全然よくない。

 

関係があるのかどうかはわからないけど、ちょうどその頃から瞑想をしている。特に目的があったのではなく、本で自律訓練法と呼ばれる自己催眠法を知って、興味本位でやってみたのがきっかけです。

そこから更に意識を外に出すと、身体と外界の境目がなくなっていって気持ちいい。そのスマホは私、このパソコンも私、あの石ころも私、なんてことを達人たちはよく言う。「んなわけあるか」と思ってたけど、本当にそうだった。

「好き」に囲まれた部屋は、前と同じなのに明るさがまるで違って見えるのだ。私の発した「好き」がフィードバックしてくる気がする。

 

兵長(ロボット)が掃除してくれてるせいもあるよ。