先週半ば、モヤモヤ案件がありました。
八つ当たりのことではない。忘れてたくらいだから、それは本当にどうでもいいのだ。
誰も悪くない、多分。でもなー、それは違うんじゃないかなーと。
多少なりとも私は労力を使わねばならん。口先だけの謝罪とか嫌いなんだよ。
で、私は考えた。
私は許したいんじゃない。善人になりたいわけじゃないのだ。私と相手との問題はきっと些細な事。「私は自分自身のために、どんなふうに思考を変えるべきか」である。
結局その答えは見つからなかったが、とりあえず神に丸投げして祈った。するとどうでもよくなった。
あれから数日が経った今日、全く違う所から埋め合わせのような形でラッキーが舞い込んできた。そしてわかった。私は意識を変えることに成功したのだと。
もしもあの時、私が波動を下げていたら。きっとこのラッキーはなかったと断言できる。
波動の力って本当に怖い。
「許したつもり」とか「我慢」は意味がないのだ。相手との関係を保つのが最大の目的ならそれでもいいだろう。
けど、そこに拘る余り、絶えず低い波動を垂れ流しているとしたら。その努力は思うような結果をもたらさない。
ちょっとコツがわかってきました。