近道

AC同士の友情

昔、こんな日記を書いた。

久しぶりに彼女のことを思い出しました。私は彼女と共にACを克服したいと考えていた頃がある。とはいえ私は彼女に執着していたわけじゃない。「去る者は追わず」私が気に入らないなら離れてくれればいい、と本気で思っていた。

彼女と本当に疎遠になったきっかけは、共通の知人に対して裏切りのような行為をしたからだ。私の男友達(滅多に合わないけど)でもある彼は芯が強く、曲がったことが大嫌いな素敵な人。もちろん他人にも厳しい面はあるけれど、自分に対してはもっと厳しい。そういう人をないがしろにしたことが許せなかったのです。

そして同時に気付いた。彼女は「大切にする人を間違える」のだと。これは自分も経験が多々ある。主に仕事関係ですが、問題のある人に積極的に関わっていく傾向にありました。実際、今の会社の自己愛とか共依存もそうだし。さらりと流すことができなかったのだ。

いま考えると、私はずっと「今のままではダメだ」と思っていたからだと思う。俗にいう普通の人は優しかったり褒めてくれたりもする。早い話が、その言葉を信用できなかった。だからダメ出しをしてくる人に自分を認めさせようと躍起になっていたのではないか。潜在意識的にも辻褄が合いすぎて怖い。でもそれは自分で克服するしかなくて。

近寄ってはいけない人に近付いてボロボロになった彼女は、その度に救いを求めてきた。ボロボロにされる相手には精いっぱいの力を使い、私の時間と労力を使ってリカバリーを図る。不毛すぎる関係だった。それでも当時の私は見捨てられなかった。私も彼女同様に、いやそれ以上におかしかったのだ。

元々私からの連絡頻度は少なかったので、彼女からの連絡を無視する形でフェードアウトした。そんな彼女は今も手書きで一筆添えた暑中見舞いと年賀状を欠かさない。「そろそろ連絡を取ってみようかな」なんて思うどころか、見る度に気分が重くなる。いい加減、やめて欲しい。

私はもう彼女に興味はない。彼女は私に、一方的に荷物を背負わせる人だった。今の私は自分で自分をリカバリーできる。にしてもだ、彼女自身が選択した結果、背負った荷物を私が引き受ける必要はないから。私は自分を大切にしてくれる人を大切にしたい。それは『自分を大切にする』ということでもあるんだよね。

幸せへの近道。